診察室の様子
治療で大切にしている事
医師としてのテーマ
私が精神科医になる以前、今から20年以上前の研修医・脳外科医の時にさかのぼると、体・脳・神経の仕組みを医学的に学び、さまざまな現場で経験を積んで手技や技量を高めることに努める一方で、「医師としての良心とはどういうことか」「どのように熱意があることが大事か」等、模索する日々でした。
救急や手術の場面では、治療される人への感情移入はさておき、目の前の危険な状態を客観的に観察し、適切な技術を使って治療します。やがて身体の状態が落ち着く方向に向かえば、その人を人間として感じる度合いが増える、という感覚だったと記憶しています。
「脳」よりも「心」に興味を持つようになった私が、精神科医になったばかりの頃、上司に言われた「その人、本当はどうしたいのかな?」という言葉があり、精神医学の知識や技法を詰め込み、診察では客観的であろうとしていた当時の私にとって、印象深かったのを覚えています。
結局、治療を受ける人(クライエント)を、医学的に見立てていくことと、生身の人間として感じることが、どのように両立するのかという自分のテーマが続いていたと振り返ります。
「感じる力」について
やがて、カウンセリング・精神療法に魅力を感じて取り組む中で、クライエントの話に胸を揺さぶられるという体験が増えました。その自分の感受性には一体どういう意味があるのか、客観性を失うよくないことなのではないか、という疑問を秘かに持っていました。
当時いろいろなカウンセリングの知識や技法を学びましたが、なかなかしっくりくるものがなく苦しんだこともあり、自分がカウンセリング(教育分析)を受け始めました。
そのうち、診察で揺さぶられるという感受性は、余分なものがたくさんこびりついているにせよ、それらがそぎ落されていけば、当クリニックで目指す『治療』にとって必要不可欠な『感じる力』を磨いていくことになるのではないか、と思うようになってきました。
『感じる力』とは、理屈だけでは説明できない、ただ直接的・動的・全体的に感じるという、人間の持つ物事を直観する感覚と言えるでしょう。例えば、初対面で馬が合うかを察する「勘」、季節の移り変わりの微妙な変化を感じ取る力や「虫の知らせ」の感覚などは、その一端だと思います。
前述した私のテーマに戻ると、クライエントにしてみれば、ただ客観的に理屈で自分のことを言われても、頭でわかって気持ちで納得できないこともあるでしょう。また、「胸を揺さぶられた」治療者の良心や熱意も、その『感じる力』にこびりついた余分なもの(過度の自己評価の低さ・高さなど)への自覚が十分でなければ、押しつけ・的外れ・先回りなどが多くなってしまうと思うのです。
大切にしたい事
つまり、まず『感じる力』を磨いている上での客観性や良心・熱意ということなら、すべてが根っこでつながり両立できる、とテーマの答えとして腑に落ちる感じがするのです。磨き具合はまだまだですが、方向は定まった、という手応えがあります。
そして、治療者の『感じる力』こそ、クライエントの内面にある自然で純粋なものが動く瞬間をキャッチすることに役立つのだと思います。その結果、クライエント自身の『感じる力』が育まれ、自分の自発性をよりどころにして生きていく方向に変化していくと考えています。
そのやり取りは、「当院の治療方針」に書いた人間同士の深い交流、「院長あいさつ」に書いた自分・相手のことを体感的にわかることと、ほとんど同じ意味合いになります。時には、お互いの命の働きを感じて、祈るような気持ちやその働きへの感謝の念が湧いてくることもあるかもしれません。
当クリニックでは、治療者が『感じる力』を磨くほど治療者の良心・熱意の形が変化し、主観を突き詰めた先の客観性が増し、それとともにクライエントの『感じる力』により真の自発性が増していく、という考えを大切にしたいと思います。
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