心理療法とは何か(三)
「治療というのは、要するにクライエントが本音で行きたい所へセラピストが一緒に苦労しながらついて行くということ」
これは、津川先生の師匠である近藤章久先生が晩年に残した言葉です。
僕自身の被分析体験を振り返ってみます。
自分の悩みや苦しみだけでなく、日常で様々に感じている事を表現することから始まり、無意識であった自分の思い込みや捉われについて繰り返し見ていく中で、行きつ戻りつがありながらも、少しずつその分かり方が進んできている、という手ごたえがあります。その繰り返しの中で、受け始めた当初の悩みや苦しみは次第に気にならなくなり、結果としてそのプロセス自体が治療になっていたと思います。
また、それとともに、以前は自覚していなかった本心・素直な気持ちが身体的に感じられてきている、という経過の中で、
「本当はどうしたいのか?」
「どう生きていきたいのか?」
「自分とは一体何なのか?」
「どこから来てどこに行くのか?」
ということも、少しずつ実感の度合いが深まってきた感触があります。もちろん、まだまだ奥がありそうだとも思っています。
僕がまだ精神科医になりたての頃、近藤先生の著作を読む中で出会い、強く印象に残っていた言葉があります。近藤先生が日本精神分析学会の第6回大会(1961年)のシンポジウムで語られた内容を、故小此木啓吾先生が近藤先生の没年(1999年)の学会誌に寄稿された追悼文の中で回想されたものです。
「治療者と患者が出会い、治療契約を結び、禁欲規則を守り、ともに治療を行う所まではフロイト派とまったく同じだが、そこから先に大きな違いがある。さまざまな幼児期体験の中で、自己の不安な存在を防衛するために無意識に一定の神経症的態度が作られ、この誤った自己像を価値づけ、真実の自己が疎外されているのが神経症の状態だ。応える能力(ability to respond)、応えること(respond)は、患者の人間としての存在の底に潜み、その底から呼びかけている真の自己の声(calling)に応答することだ。これが治療者の責任(responsibility)の深い意味である。この呼びかけと応答が、治療者と患者両者の絶えざる責任関係として深められ発展するのが治療関係である。それだけに治療者にとっての治療の場は、鏡のように客観的に観察する場ではない。むしろ、”responding to call, call and response”という関係であって、治療者が『第三の耳』を澄ませて聴くならば、その患者の願いが聴こえる。患者自身にunconsciousなものを我々は聴く。それを我々はsensitiveに聴き、respondする。我々は自分のイメージを押し付けるのではない。患者が本当に願うものにrespondする。そこから自然に技法というものが出てくる。」
——小此木先生はこの回想に続けて、「この治療感覚は、現在の私(小此木先生)の治療感覚とも大いに共通のものがあるが、あの当時も大きな感動をおぼえた。」と記しておられます。
また、近藤先生が同じ頃に学会誌に寄稿された論文には、直接教えを受けたカレン・ホーナイについて、こうあります。
「ホーナイの理解では、患者の症状の背後には不安があり、その底には神経症的な『仮幻の自己』によって圧迫され苦悶しながらも、『真の自己』を解放し成長させようとする願いが無意識のうちに潜んでいる。フロイト派がこの『真の自己』の成長と実現という価値に対して消極的な態度をとるのに対し、ホーナイは臨床的事実からその価値を積極的に提言している。治療者がそのような人間的本質への洞察と理解、愛情と尊敬を持つことこそが、治療関係の根底を支えるものである。」(本文を要約)
二つの文章はともに学術的な場で語られ、あるいは書かれたものでありながら、近藤先生の呼吸、息づかいが伝わってくるような言葉です。「精神分析」という言葉に連想される、どこか外科医のメスをイメージするような冷たい響きや、外部の対象をただ客観的に観察する態度にとどまらない、深い所から出てきている表現だと感じます。
最後に、僕なりにこの2つの文を味わった上で、心理療法とは何か、を表現してみます。
今の悩みや苦しみを取り除きたい気持ちから始まり、それらをそのままに見ていくことで、その奥にこそ本来の自然なあり方が息づいていると感じられてくる。つまり、治療とは苦悩を取り除くことが唯一のゴールなのではなく、それらに導かれて本来の自分が回復されていくことではないか。
今ここを生きている自分を感じる――呼吸をしている自分を感じる、心臓の拍動を感じる、胃腸が鳴るのを感じる。
そういう時に、自分の命の働きというものを感じます。自分が生きている、というよりも、与えられたものという感じがします。
声を発して言葉のやり取りをすることは、ともに呼吸する、息を吐く・息を吸うという、人間が生きることそのものに直結している営みだと思います。
僕自身を見るとまだまだ至らず途上だと感じますが、この実感が深まっていくことが、本来の自分を生きるあり方を取り戻していくことであり、与えられた命を深く味わうことにつながっている気がしています。
同じ生身を持つ人間としてのクライエントとセラピストが、場をともにして、このお互いの呼吸のやりとり、呼びかけと応答――コール&レスポンスの営みの中で、クライエントが表現する悩みや苦しみの言葉もまた、同じように呼吸から出てきたものとして命の働きを感じながら、クライエントが本来の自分を生きるあり方を取り戻していくことをお手伝いしたいと思っています。
2026年6月27日 記
※心理療法とは何か(一)(二)(三)参考資料
近藤章久著「セラピストがいかに生きるか――直観と共感」(春秋社)、「精神分析研究」1999年43巻2号、「精神分析研究」1961年7巻6号、宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」(千歳出版 古典名作文庫)*「第3次稿」が底本
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